皆様
今年も、つたない行報告をお読みいただき、ありがとうございました。
ともに歩んでいただき、本当にありがとうございます!
以下、行報告をいたします。
2016年11月行報告、No. 76
★ 止観シート 25枚
ウイズダム 0枚
★ 祈り黙想禅定 21日
合計時間 10時間30分
一日30分以上
今月は9日抜けました。
★ 霊的読書
G誌の先生のご文章すべて、巻頭言、時の羅針盤、「魂の学」序説を熟読しています。
今月は7回読めました。
★ 真我を解放する行の実践
「卑下者」を超えるための行から、
挑戦の行 (3ヶ月目です)
喚起の行 (3ヶ月目です)
書写行 0回
映像反芻 0回
以上です。
コメント
その 1 加速する。
今年のG誌5月号、時の羅針盤に「加速する」の記事があり、新たな挑戦を呼びかけてくださいました。
それで、6月に一つ、8月に一つ、10月に一つの合計3つの事柄につき専門能力の習得を始めました。
この3つの専門能力は、もともと私が苦手とするものですから、基本的なレベルでも3年はかかりそうです。
そんなこともあって、「行」が低調になってしまい最悪です。
これは私の本意ではありません。
今年6月号の11ページに「心のピラミッド」の図が出ています。
そこには、土台に菩提心、中段に受発色力、最上段に専門能力とあります。
皆様ご承知のとうり、私たちの現状は、この土台の部分が「カルマ」と「3つのち」で成り立っており、煩悩そのもの、真っ黒な土台です。
それを「行」(変革)もなく、そのまま受発色をすれば、煩悩そのものの真っ黒な暗転を辺りにまき散らすこととなります。
その上、専門能力を得れば、それも汚染されてしまい、自分の利得のため、自慢のため、満足のために無自覚にも利用しかねません。
私にとっての急務は、以前と変わらず、このカルマ、3つの「ち」で出来た暗黒の土台を煩悩から菩提心に変革することです。
(この「変革」への核になる「行」は止観シート行であると、先生は明言されています。)
皆様ご承知のとうり、止観シート行を何百枚、何千枚と続けて行けば行くほど、自らの心の土台が菩提心からほど遠い、真っ黒な暗黒でできていると自覚できます。
快暴、苦暴、快衰、苦衰の12の煩悩の回路が複雑に絡み合い、どこが糸口か判然としない暗黒の垣根状態です!
そうです、今のところ、どこが始まりの糸口かすら掴めないのです!
この私たちの現状に対して、先生は次のお言葉で励ましてくださっています。
★ ★ ★ ★ ★
まことの光
まことのいのち
まことの悟りへの導きを与えてください。
そこに至る道がいかに遠くても
そこに沈みゆく闇がいかに深くても
そこに歩み入ってゆく勇気をください。
それを引き受ける強さをください。
★ ★ ★ ★ ★
「新・祈りのみち」646ページです。
この真っ黒な煩悩の土台に薄光が差し込む日を願って、止観シート行を続けます。
その 2 必然の感覚。
ご著書「運命の逆転」の1章では改めて「3つのち」を取り上げてくださいました。
この人生で無自覚の内に心に取り込んでしまった、旧い3つの「血」「地」「知」の中には「多くのものごとは偶然に起こっている」という感覚があります。
G誌10月号から始まった「原因と結果の法則」シリーズは「必然の感覚」からお説きくださっています。
先生が最初にこの「必然の感覚」から始められるのには、そうなる重大な必然があるのでしょう。
これまでの人生で、また入会後も「必然の糸」が切れた状態で平気で生きてきました。
「原因と結果の法則」シリーズを学ぶにあたり、この「偶然の感覚」を脱することを促されています。
そうでないと、
〇お説きくださる「原因と結果の法則」は理解不能となる。
〇神理に矛盾を感じ実践不能となる。
〇「魂の学」すら確信が持てなくなる。
〇「行」をするゴールが見えなくなる。
そのように思い至っています。
「必然の感覚」は魂の学を貫く一本の大切な柱。
それ故に、先生の直弟子である私たちが、どうしても100%体得しておかなくてはならない「感覚」、
それは「必然の感覚」です。
この「必然の感覚」は間違いなく、仏国土・ユートピア時代を創る、新しい3つの「ち」となるものと確信しています。
10月号14ページ3行目からは、以下のようにお説きくださいました。
★ ★ ★ ★ ★
ここで、強調しておきたいことは、この「偶然の感覚」は「魂の学」を生きる姿勢とは異なるものだということです。
それを忘れないでいただきたいのです。
「魂の学」が大切にしている感覚は、「人生には偶然はない」という「必然の感覚」——。
現れている現実には意味があり、訪れた出来事には私たちへの呼びかけが託されているのです。
後略
★ ★ ★ ★ ★
「必然の感覚」を正しくはたらかせるには、の章では、
15ページ3行目から、更にその重要性をお示しくださっています。
★ ★ ★ ★ ★
このような「必然の感覚」は、それまでその感覚を持たなかった人にとって、劇的な変化をもたらすものとなります。
人生に起きる出来事、日々もたらされる出会い——。
それらを偶然と捉えることなく、必然と受け止めるということは、その「呼びかけ」をキャッチできることです。
後略
★ ★ ★ ★ ★
以前の私のメール報告で、書いた止観シートを「新・祈りのみち」で浄化に向かう前に、心を整えるために15個の神理のお言葉を味わいつつ、シートの余白に書き込んでいると申しました。
その中にも「必然」を入れています。
「必然の感覚」は、最大限に重要なキーワードであると実感しています。
この実感が薄いと、本気になって止観シートに向えません!
先生が上記の中で「劇的な変化をもたらす」と申されているのは、うなずけます。
出来事には、快のもの、苦のものがあります。
苦の出来事に出会うと、その出来事を受け入れ難い出来事として、無自覚の内に敬遠し、相手が悪いのであるからと、放置してしまうことも良くある傾向です。
これでは止観シートに取り上げることもできません。
また、取り上げても、相手が悪いのに、相手が未熟なのに何故に私が、善我や菩提心やカオスのまなざしに向かい転換せねばならぬのかと、自己変革に抵抗が生じていることも多々あることです。
(相手が悪く未熟であるから、転換するのは私ではなく相手でしょう!と。)
この状態にあると、止観シート行は遅々として進まず、苦行になってしまいます。
ここで停滞し、止観シート行を放棄されている方々は、ターミナル内にも多くおられることでしょう。
皆様、このような状態にあるとき、いかがここから脱出されていますか!
ここは止観シート行の最大の難関です。
苦をもたらす相手さまに対する嫌悪感、拒絶感、自分の先行きの不安感、第3者に愚痴をこぼしたくなる気分などなど。
この状態は、相手さまの言動が気になって、まなざしが外に向き、エネルギーが漏れている状態です。
まなざしを内に向けて止観シート行をしているつもりでも、現実はそのようになっています。
相手さまのことは一旦横に置き、自分の心だけを集中して見つめれば、そこには怒っていたり、怯えていたり、焦ったりと、あるがままが映ります。
さすれば、すぐにでも煩悩回路を特定し変革に向かうことが可能です。
まずは、その時の自分の煩悩回路を決定することです。
菩提心への道はここから開けます!
また、次のようにも考えています。これも私見です。
このような不快な出来事を私にもたらしたのは誰か!
これを相手だと思うと、そこで行き止まりとなり進めません。
この不快な出来事をもたらしているのは、神、大宇宙大神霊・仏です。
これまでの学びからそのように私は捉えています。
慈悲と愛の神がどうしてこんな出来事を!
それはすべて私の成長のためです。
心が小さく他者の煩悩を受け入れられず苦しむ私には、少し心を大きくしましょうとの呼びかけであり、
相手を恨んで冷たい波動を返しているときは、浄化して光で返しましょうとの促しでしょう。
楽ちんな出来事では決して出会うことのできない、なくてはならぬ、神の恩寵です。
すべては神さまが私の成長のために降ろしてくださった必然であったと理解しています。
必然の感覚をもっと深めるべく、自らを育んでまいります。
その 3
11月の止観シート行の内訳は以下のとうりです。
書かなかった日 10日
一枚書いた日 16日
二枚書いた日 3日
三枚書いた日 1日
合計25枚でした。
お読みいただきありがとうございまさいた。
2016年 師走 25日
クリスマス輪読会の日
GLA 一会員