人は何のために生きているのか!


ベートーヴェン作曲 ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」より第2楽章
幼少期の体験 

 

私は幼少の頃から「人は何のために生きているのか?」が、折につれ疑問点として心にありました。

皆さまはいかがでしたか!

 

ある時この問いを周りの大人に尋ねてみました。 その答えは「結婚して子供を育てることや!」でした。 更に、その子供は何のために生きているの? と尋ねてみると、 同じく「結婚して子供を育てることや!」と返事が返ってきました。

この返事には心の中では、「ええっ」と思うほど驚いていました。 こんなに単純で簡単なことか? と思う反面、的を射ていない答えであることはすぐに解りました。

この答えをくれたのは、私の母親です。 当時の母親は、私を含め6人の子供の子育ての真っ最中でしたので、返事にはそれ故の重みがありました。 しかしこの問いは、母親でもまともに答えられない難問であるのだと、深く印象ずけられました。

 

そのためそれ以降は他人に、難問であるこの問いを発することはありませんでした。 しかし難問ではあるが、これが人が生きる上で最も大切で根源的な重要な問いであることは、心のどこかで解かっていた気がします。

 

消えゆくこの大切な問いかけ

 

小学生から中学生になるにつれ、目の前で繰り広げられる様々な刺激が強烈になってゆき、心の内界に秘められていたこの静かで根源的な問い「人は何のために生きているのか!」などは徐々に色褪せていき、忘れ去られていきました。

様々な刺激とは、スポーツ、芸能、学校のこと、友人関係のこと、時には女の子のこと、進学のこと、成績のこと、社会のニュース、などなど事欠きません。

皆さまはいかがでしたか!

 

現在では更に、テレビ、インターネット、スマホ上にある数々のアプリによって、苦を回避し快を追及できる刺激が社会を覆っています。

この刺激に対応するのに忙しい人々の中で、一人静かに「人は何のために生きるのか!」を追及できる人は存在するのでしょうか! きっと、このようなことを考えていると言えば、「変わり者!」と呼ばれて、人は避けてくださるでしょう。(笑)

 

当時の大人も、現在の大人も、明らかにこの大切な問いを避けて生きてきたのは明白です。 こんな雰囲気のなか、当時の大人の中には人が苦悩や試練のなかにあると、「人生は修行じゃ!」と苦笑しながら言い放つの人がいました。 私の場合は。中学時代の社会の先生です。

皆さまは聞かれたことはありますか。

考えてみれば、「人生は修行だ」は実に不思議な言葉です。

中学生、高校生になれば、社会にはもう既に、ある暗黙の了解が存在するのを無意識の内にも知っています。 学生なら成績が良いこと、働くなら高い収入を得ること、名声を得ること、女性なら美女であること、などなど。

また、女性が結婚相手に求める条件は3高でした。3低ではありません。すべては社会から良き評価を得ることにつながっています。 これは無自覚でも強烈な快への志向です。

そうです、あらゆる面で苦を避け快を追求すること! 苦の中にどっぷり浸かっていなければならぬ人生は負け犬の人生!

無自覚でも、この想いが社会の常識、世界の常識、歴史の常識になっていて、世界に快苦の悲しみを生み続けています。

 

例えば、出世街道を驀進する人が、何かの理由、病気、失敗などで、もう決して出世街道には戻れず退職しかない。そんな時を想像してみてください。

このとき、「人生は修行だ」言い切って、何のためらいもなく全力で生きられるか?
世の中にはごく稀には、そのような方もおられます。 しかし、殆どの方は、愚痴と虚無と怒りの絶望の人生を始めることになってしまいます。

「人生は修行だ!」は社会の快感原則の志向をも超える、素晴らしい不思議な言葉でした。 しかし、その言葉を発した方も、その本当の意味と生きる道については深く知る人ではありませんでした。

私も、人生の意味を深く知るためには、人生の紆余曲折の長い旅が必要でした。

 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

私は、決して自力で知りえた訳ではありません。
プロフィールで述べましたとおり、1975年 神戸国際会議場で高橋信次氏のご講演をお聞きし、感動の涙と共に想像を遥かに超える深い人生観、世界観に出会うことになりました。
これこそが真実だ! と、心の底から得心しその神理を学び始めたのは、私が34歳の時でした。

 

ただし、その神理の核心は外界世界から押し寄せる様々な出来事、出会いに対して一喜一憂し溺れてしまうのではなく、内界に快苦を超えたもう一人の自分を確立していく果なき黄金の道のりでした。

それは、私たちの心の奥にある、神の心につながる超高次元の我、魂の発見の道行きでした。

人は何のために生きているのか!

この答えは、すでに示されています。 その道行きを歩む手立ても用意され、「行」を自力で深めることにより、次元を超えて深化できることも少しずつ実感しています。

この実感は、「行」により日々成長できるという喜びの実感でもあります。

超高齢者になっても人生の終わりまで成長できる、常識では計り知れない充実と喜びがあったのです!

暗黒の忍土の世界にあっても、輝ける人生を歩める!

 

 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 やがて、幼稚園がキリスト教系であったため、中高生の時代は同じ教会のプロテスタント系の日曜学校に学びました。

そこでも、人生の根源的問い「人は何のために生きるのか!」に答えを得ることはありませんでした。

 

その後、ブラジル移民してブラジル人社会に溶け込んで生活していましたが、そこはカトリック大国です。 彼らはそこに強いプライドを持っていました。彼らからすれば、日本の宗教などは、仏教であれ神道であれ邪教にすぎないのです。それを信奉している日本人が作っている日本は悪魔の国です。

その日本が、ブラジルより遥かに犯罪率が低いのは、なんでか!」と、よく高学歴のブラジル人の青年たちから真顔で尋ねられたものです。

その当時の私は、もう既にキリスト教や宗教一般を侮っていました。 そして、「人は何のために生きるのか!」の問いかけは、心から完全に消えていました。

そして、神は99.9パーセント存在しない。と友人にも公言し、霊的世界も99.9パーセント存在しないと考えるようになっていました。

法律を侵さないレベルで、最大限自己満足を果たすように生きよう! これが私の秘かなモットーになっていました。

左様に、独身の私はブラジルでは、もう「人生の意味など問うことなく」安楽に生きていました。

 
人は苦難と試練のときこそ真実を求める

私が30歳を超えたころ、「プロフィール」にも書きましたが、・・・・・・

 

光輝く魂文明の夜明け!

GLA  一会員

続きます。