皆様
先日、第37回GGP全体集会では、3つの自覚について改めて深く学びました。
とりわけ、「愚かさの自覚」は行を深める者には無くてはならぬ自覚であると想っています。
皆様はいかがですか!
・ターミナルで高い役割を持たされているから、他の方々より愚かではない。
・社会的に名声があり、資産もあり幸せであるから、他の人より愚かではない。
・沢山の方々を入会に誘えたから、他の人達より愚かではない。
・家庭、友人関係を光転に導けたから、他の人より愚かではない。
・先生、講師さんから関わりを頂いたから、他の人より愚かではない。
・止観シートを数千枚書いて少しは自己変革できているから、他の人達より愚かではない。
などなど、私たちには心のどこかで、自らを密かに正当化する想いが働いてしまう愚かさがあります。
その自己正当化が、「止観シート行」を自らに課行する切実感を虫食んでしまう現実があります。
私たちの愚かさとは、いかなる愚かさか!
それは、他との比較ではない絶対的とも言える愚かさ!
究極的な人間の在り方から言えば、大きく脱落してしまっている現代の私たち。
「真我への祈り」から参照しますと、やすやすと煩悩に支配され、理解力、洞察力、意志力、そして、光も愛も欠落してしまっている現状!
先生のご説明により、改めて自らの、「絶対的な愚かさ」を自覚しなければと、強く想わされました。
以下、行報告をいたします。
2016年
1月行報告、№ 66
★ 止観シート 44枚
ウイズダム 0枚
★ 祈り黙想禅定 22日
合計時間 11時間20分
一日30分以上
今月は9日抜けました。
★ 霊的読書
G誌の先生のご文章、巻頭言、時の羅針盤、「魂の学」序説を熟読しています。
7ヵ月かけて7回読んでいます。
今月は7回読めました。
★ 真我を解放する行
「被害者」を超えるための行から、
内省の行 (2ヶ月目です)
献身の行 (2ヶ月目です)
書写行 0枚
映像反芻 0回
(映像反芻を補うために京都会館ビデオ会には毎回出席しています)
以上です。
Olga Jegunova さん リトアニア生まれ、ロンドン在住のピアニスト
コメント
その1
先月、2015年12月行報告で、止観シート行で「祈りのみち」に向かう前に、シートの余白に5つのチェックポイントを朱色で書き入れていると申しました。
その後、一部を追加しました。
それは、2の「神・先生のまなざしを生きます」と宣言した後、その「まなざし」として九つの神理の言葉を書き刻印していましたが、「本心」を加え今は十個になりました。
この十個のお言葉を毎回刻印し、潜在意識に浸透させ、普段から自らの在り方を問い、少しでも自然に修正していきたいと願うところです。
次にこれは、チェックポイントではありませんが、煩悩回路、その波動に加え、先月紹介しました、GLA関芳郎 理事長から頂いた12の菩提心の「キーワード・命の言葉」を対(つい)にして書き、煩悩回路の波動の消滅に向かっています。
以下のようになります。
歪曲の回路の波動、イケイケドンドン
稲穂の心、おのずからなる感謝
優位の回路の波動、ツンツン
観音の心、同苦同悲のまなざしを抱く
欲得の回路の波動、ギラギラ
月の心、ひそやかに
拒絶の回路の波動、固い
空の心、超え出る
批判の回路の波動、冷たい
海の心、全体は一つ、違いによって見えなくなっているつながり
不満の回路の波動、荒い
川の心、あるがままに受けとめる
恐怖の回路の波動、弱い
山の心、重心、何を大切にするのか、何を守るのか
否定の回路の波動、重い
大地の心、親の心、尽きる事のない想い
卑屈の回路の波動、暗い
太陽の心、与える喜び
満足の回路の波動、緩い
火の心、限りを尽くして
鈍感の回路の波動、甘い
泉の心、道なき道
依存の回路の波動、軽い
風の心、さっそうと、本心を求めて
例えば、批判の回路の波動は「冷たい」ですが、関さんの「全体は一つ、違いによって見えなくなっているつながり」と書くだけで、心に温かいものが流れ入るのを感じます。
また、優位になって、ツンツンしていても、同じ苦しみ悲しみを背負っている自分を知れば、もうツンツンとはしておれませんよね!
先月の行報告には書きませんでしたが、止観シートには最後に必ず、唱えたお祈りの名前も書き入れています。
その2
自らの心が煩悩に支配されているときは、相手を排除しょう、分離しょうという想いが自然に働いてしまいます。
または、自ら逃げ出そうしてしまいます。
一方、先生の説かれる神理・菩提心は、統合、深い絆、全体は一つ、の意志に貫かれていると感じますが、皆様いかが感じられますか!
煩悩と菩提心の意志は真逆です。
いかに智慧を尽くした正論でも、排除、分離に傾いておれば、それは煩悩そのものです。
皆様ご承知のとうり、菩提心の世界には、快苦、好悪、善悪、利害、美醜さえも超えた広大ないのちの世界が広がっているのでしょう。
それに比して、自らの心の小ささは、「針の穴の如く」です。
絶えず、快苦にとらわれ、好悪にとらわれ、善悪にとらわれ、利害にとらわれ、自らの待遇にとらわれ、人さまの煩悩、未熟にとらわれて、バランスを失っている小さな自分です。
その状態を先生は、「迷いの森にさまよい込んでいる」と、「新・祈りのみち」の中で申されていますね。
「愚かさの自覚」が少しづつ大きくなって迫って来る日々です。
この何百何千もある、とらわれ、こだわりを一つ一つ止観シート行で自覚し解消していきたいです。
それは、10年、20年、30年、来世,来々世・・・・と果てしなく続く行に違いありません。
その3
さて、昨年の「一日止観シート研修」で頂いたテキストには、次の記載があります。
39ページ最後の行から40ページにかけてです。
「前略・・・・・「これだけが頼り」と、とにかく懸命にMさんが書かれた「止観シート」は、数年の間に一四〇〇枚以上に及びました。
大切なことは、「止観シート」の取り組みはすぐに効果や変化が出るというものではないということです。
効果目当てでなく、ただひたすらに心を見つめ、「祈りのみち」を手がかりにその心の奥にある想いを辿る・・・・・。後略」と、あります。
この個所は、苦衰退であったMさんが止観シートに取り組まれる歩みの中で、大きな人生の転換を経験されたという記述の中にあります。
ただし、暴流系の私たちにも大変な励みになるお言葉です。
この研修のテキストをお持ちでない方々に明報があります。
このテキストは、GLA誌2005年7月号、8月号、9月号に先生がご執筆くださった「人天経綸図解義15-17 止観体得 1-3」から転載されています。
再読はお勧めです!
自分革命を願われる方々には、欠かすことのできない内容です。
私も、これからも何度も熟読することになります。
凄い内容であり、自分革命へのいのちが記されています。
先日、止観シート行を一カ月30枚レベルで、行じることが出来るようになったとおっしゃる方とお話しできました。
花火線香的には出来ても、これまでの習慣を変え、コンスタントに止観シート行を軌道に乗せられる方々は、ターミナルではまだまだ少数派です。
私も、長年(15年間)、花火線香的な行で何度も途切れていました。
しかし、花火線香的な行も無駄ではなかったのですね。
後悔と共に、「何とかしょう」と想いますから!
これからも工夫を重ね、止観シート行を続けます。
その 4
1月の止観シート行は
書かなかった日 9日
一枚書いた日 11日
二枚書いた日 4日
三枚書いた日 5日
四枚書いた日 1日
六枚書いた日 1日
合計44枚でした。
お読みいただき、ありがとうございました。
2016年2月17日
GLA 一会員